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再びドイツへ 2013(さようなら...お父さん)

本当に長い間、BLOGをUPできず、ご無沙汰しております。
6月中旬から、日本に一時帰国しておりまして、
10月末、ドイツに帰ってきました。

今回は父の癌の転移により、余命1ヶ月という宣告を受け、
ただちに、日本へ帰り、父の看病の為の病院通いをしておりました。
幸い、徳島の地元に兄がいてくれていたので、私が帰るまで、
兄が毎日、父の元に通ってくれていました。

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最初のころは、まだ元気で、ドクターの言う余命が
信じられなくて。。。
普通に会話もでき、食欲もあり、病院食も食べていましたが、
そうこうする間に、見る見るうちに弱って、やせて
いきましたが、痛みはなく、ただ本人曰く「体がだるくて
力が入らない...」とのことでした。

私はとにかく、父に悟られないように、笑顔でたわいのない
話をし、たまには、父のわがままにお説教したり
幼いころの父との思い出話に2人で笑ったり
何気なくこれまでの、感謝の気持ちを伝えたり
している日々でした。

しかし、今年の日本の暑さは半端なく、
母の家から病院までは、バスで50分もかかる距離です。
2ヶ月を過ぎたあたりから、だんだん、精神的にきつくなってきました。
私自身が疲れ始め、これ以上、看病が長期になれば、
精神的、肉体的に耐えられるのか??という気持ちに
なってきたこともありました。

しかし、地元の同級生に「帰りは勤めの先の途中なんで、
りこちゃん、PICK UPしてあげるよ」と言っていただいたり、
知り合いのおじさんが「仕事のお休みの日は送ってあげるよ」と
言って下さいました。
幼馴染のえっちゃんは、私の性格を知っているので、
日々、気にかけて元気付けてくれました。
暑い中、大変だからと、タオル代わりになるスカーフをプレゼントして
いただいたり、本当にさりげない優しさを見せてくださいました。
親戚のおばさんも、美容師のいとこをつれて定期的に髪を切って
くださったりと、本当に周りのたくさんの力に支えられて、
何とか乗り切れた日々でした。

今回の父の看病中、父が時間を与えてくれたのかな?
と思ったのは、兄との関係修復です。
兄が結婚して以来、かつて仲良し兄弟だった2人が
あることがきっかけで、かみ合わなくなり、ここ数年
仲良く話すとこともなければ、ゆっくり会うこともなく、
気まずい関係が続いていました。
でも父の入院で、兄弟が力を合わせて乗り切らないといけない場面ができ、
お互い、相談をしたりしている間に誤解していた気持ちや
わだかまりがなくなり、かつての兄と妹になれた感じがしました。
まるで、父が「兄弟仲良くやっていきなさい!」と
言ってくれているようでした。

海外が長く、日本にいるときは仕事のため、
母とゆっくり過ごす時間もここ数年ありませんでした。
この時期、母と毎日、晩御飯を食べたり、ゆっくり話せたことも
本当に、貴重な時間でした。

父が大腸癌になった3年前から、手術が終わったあと、
父も抗がん剤を飲むことを拒否していましたし、
私もいろんな本を読んだ結果、最初から癌の放射線治療をせず、
できるだけ自然に痛みだけはとってもらう治療を望んでいました。
点滴と、最後の方でわずかなモルヒネパッチのみ行いましたので、
お蔭様で本当に痛みもなく、最後まで意識もあり、話もでき、食欲もありました。

毎日、日替わりで食べたいものを持って行くと
おいしい!と言って食べてくれました。
最後も、ありがたいことに、あまり苦しむことなく、
ろうそくの火が消えるように
家族の見守る中、静かに息を引き取りました。
9月13日午前、6:45でした...
余命1ヶ月と言われながら、3ヶ月生きることが
でき、沢山話もできました。

病院の看護士さんやSTUFFの方々も、優しく接してくださり、
父も安心感があったと感謝しております。

最後は家族や親戚で、家族葬を行えてあたたかく
父を送ることができて本当に良かったと思っています。

私は小さい頃から、両親の祖父母もいなく、
初めての肉親の死だったので、
自分がどうなってしまうのか?と不安でしたが、
なぜか、亡くなった後は父をより身近に感じ、
いつも、そばにいてくれている気がします。
時々、あのシャイな笑顔とおもしろい話、そして
たまの毒舌が聞けないかと思うとそのときは、
哀しくて、号泣です。

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でも、父のDNAは間違いなく私に受け継がれていて、
それを大切に、今後の人生を生きていきたいと思います。
歌が上手で、歌が大好きだった父...
リタイアー後は、畑で菜園つくりも楽しそうでした。
畑にあったグラジオラスの花をとってきて、むぞうさに新聞紙でくるみ
母に差し出してる姿が思い出されます。


幼い時、大雪の日に、父が彼の背丈ほどの雪ダルマを
作ってくれたこと。日曜日の朝ご飯を時々、作ってくれたこと、
髪を上手に洗ってくれたり、幼稚園に行く前に歯磨きをさせてくれたり、
冬の朝、私が起きる前にストーブをいれて部屋を暖めてくれたり、
私を父の足のうえに乗せてやってくれた飛行機遊び、etc...
KISS魔でもありました...(笑)

先日、荷物整理をしていたら、父がやっていた商売の
拡張のお知らせのはがきを発見し、このころの父の
生き生きした姿を懐かしく、思い出しました。


本当に、本当にお父さんお疲れ様でした。
そして、心からありがとう!!!
また、大好きだった歌をいつか一緒に歌いましょうね~
それまでもう少し、歌上手になっておきます...(苦笑)

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MY father passed away.
Thank you to my beloved dad.
He was honest, heartful man of pure ideas.
May He Rest In Peace.
And thank you to everybody around him,
the support and love you gave was beautiful.

さよなら、お父さん、また会う日まで...
頑固で気の強いあなたの娘です!
泣かないで、笑顔で生きていきます!!!
生き方の不器用な人ではあったかもしれないけど、心がまっすぐで、
毅然として、人に媚びない生き方が大好きでした!


最後にもう1度、お父さん、本当にありがとう!!!本当にありがとう!!

生前、父がお世話になった方々にも心から感謝申し上げます。


NORIKO YUZEN
by ricoyuzen | 2013-11-04 23:48

世界で歌うJazz Singer,Rico Yuzen


by ricoyuzen